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一般市民に知らされない魚の適正価格:魚が海から減っても、魚の値段が上がらない理由

ネレウス太田です。夏は各研究者が、一斉に「執筆活動」に入るためネットワーク自体の活動が少し緩やかになります。その隙をついて、7月にケンブリッジ(イギリス)を訪れた際に以前漁師町の研究をしていたケント(イギリス)に行ってまいりました。私は、10年ほど前に、ケントの漁師町で、20隻ほどの船に乗せてもらいドーバー海峡の舌平目をとっていたのですが、その時の懐かしい漁師数人と話す機会がありました。嬉しかったのは、一人の漁師の息子が船を継いでいた事、そしてネレウスのウェッブを見ていてくれた事です。海ととも世代も変わっていく事を実感しました。

さて、今回は漁師と食卓をつなぐ「魚の値段」の話です。

物の値段は需要と供給で決まります。欲しがる人が多く、手に入りにくい物は値段が高く、逆に欲しがる人が少なく、手に入りやすい物は値段が低い。アダムスミスの「神の見えざる手」とは、この関係性によって自然と物の値段が落ち着くという理論を指しています。では、この「見えざる手」の理論を魚に当てはめてみることはできるのか?

科学的な示唆によれば、世界の魚は減少しています。一方で、中国など新興国の台頭により、これまで金銭的に裕福でなく、魚の物の値段は需要と供給購買力が低かった人たちが新たな富裕層として世界の魚消費に参加してきました。つまり、魚は、欲しがる人(富裕層)が増えたが、手に入りにくい(資源が減った)物となりました。その結果として、魚の値段は上がるのでしょうか。

確かに「トロ」は急激な資源の減少とともに、寿司屋の値段もまた築地での値段も天井のぼりです。正月に行われる初物のセリで、数年前に大間のマグロ1匹に一億5千万の値段がついたことは記憶に新しいですね。

しかし、燃料、マーケットのキャンペーン、技術の変化、政府補助金そして鮮度など、魚の値段は「見えざる手」以外の要素が大きく絡んできます。マグロの異常な値段も例外ではありません。スワーツの研究は、この複雑なしかし私たちに直接関係する「魚の値段」について説明しています。

サプライチェーンという海から食卓までの魚の流通を考えることで、「適正価格」を示すことが未来の魚を守ることに繋がる。「CSR(企業の社会的責任)」や「水産エコラベル」などに焦点を当てるスワーツの視点は自然科学とは異なった解決策をもたらしてくれるかもしれないと期待しています。

ご一読ください。

From ocean to consumer: Wilf Swartz on public awareness and transparency down the supply chain
一般市民に知らされない魚の適正価格:魚が海から減っても、魚の値段が上がらない理由

私たちが魚を買う時に、「お、納得のいく値段だ」と感じる“適正価格”を市場が維持するためには、海からスーパーへとつながるサプライチェーン(流通システム)に見えない事情が隠されているのだ。一般消費者が追跡したり、目にすることができないサプライチェーン全体をふまえた上で値札がつけられているという裏があるのだ。そして、それは持続可能な慣行が存在するような錯覚を与えている。

ネレウスプログラムのリサーチアソシエイト、ウィルフ・スワーツは、より透明性の高いシステムや持続可能性に関する市民意識と企業の社会的責任の向上を求めている。

Fish and Fisheries に掲載された新しい論文、“Masked, diluted and drowned out: how global seafood trade weakens signals from marine ecosystems,” で、スワーツらは、市場価格が必ずしも持続可能性を指し示していないと論じた。その背景に実際にある様々なことに関する情報が、より分かりやすく提供される必要があると述べている。

また、海で起こっていることと私たちが市場で目にする状況とが繋がっていない、と彼は話す。

Wilf Swartz presents at the Ocean Wise Seafood Symposium on April 27, 2015.  (Image courtesy of Meighan Makarchuk, Vancouver Aquarium)

Wilf Swartz presents at the Ocean Wise Seafood Symposium on April 27, 2015.
(Image courtesy of Meighan Makarchuk, Vancouver Aquarium)

消費者の水産物に対する購買意欲が上がるにつれ、市場の需要は特に人気のある魚に集中し、残念なことに水産資源が過剰に搾取される事態を招く。魚資源が少なくなるとその魚を獲るのがより難しくなり、その結果、漁師たちはその魚を獲らえるために漁に出る時間が長引いていくわけである。

理論上、このプロセスは魚の値段を上げるはずであるのだが、消費者は商品に反映されるであろう値段の変化を目にすることはない。スワーツは、一つの答えとして私たちのグローバル化した社会と技術利用を挙げている。

「たとえ魚の資源量が減り続けているとしても、私たちの技術は持続的に向上しているため、魚を捕獲するのは簡単になってきている。」と言う。

同時に、漁業は拡大してきている。購買できる魚種の選択肢も広がっているため、消費者は過剰漁業が切実な問題だと気づいていない。一つの資源が減少しているとしても、他の魚種の資源に簡単に乗り換えたり、養殖や別の魚種で補填することが可能であるのだ。

結果として、価値に対する認識が歪んでしまう。

「魚が過剰に獲られ、資源が枯渇しそうになっていても、それは消費者には伝わらない。ただ、海の問題として過剰漁業や気候変動があり、こういう事が今まさに起きているのだから海のためになることをすべきだ、と言われ続けるのは消費者としては好ましくない、とも我々は話し合っている。」と続ける。

しかし、食料品店には、いまだ豊富な種類のシーフードが置かれ、値段も手頃なままなのだ、とスワーツは説明する。

「私たちが得る情報と実際に接する状況がちぐはぐなので、消費者は魚資源は健全であるという錯覚に陥る。『乱獲はどこかで起こっているかもしれないけれど、私が食べているこの魚の値段は上がっていないから、乱獲されたものではない』と消費者は考えるのだ。」

スワーツらは論文の中で、漁業の状態と海洋生態系を改善する必要があるということを消費者へ伝えるためのサインとして、魚に値段をつけるべきだと提案している。漁業や世界市場が絡んだ現在のシステムでは、資源から消費者へむけた価格によるサインの伝達ができない状況となっている。それはまた、持続可能な漁業ガバナンスにとっての課題となっている。

スワーツは、シーフードサプライチェーンと世界のシーフード企業の社会的責任に関する研究において、これらのアイデアについてさらに踏み込んで考えている。彼は、4月27日バンクーバーで開かれた Ocean Wise’s Tenth Anniversary Seafood Symposiumで現在行っている研究に関する発表をした。

「一般的にそれぞれが単独の問題としてとりあげられる漁業の持続可能性とシーフード産業の企業姿勢について議論する時、人々は漁師と消費者、もしくは特定の会社の商慣行を研究しがちであり、これらのグループ間の繋がりには焦点をあてることがない。これが私の論点なのだ。」と彼は語る。

その相互作用を視覚化するために、彼は企業の社会的責任(CSR)に目を向けた。CSRとはつまり「企業は一般に期待される以上のことをすべきであり、環境問題に率先して取り組む企業努力とビジネスをうまく統合すべきであるという哲学」に基づいた行動を指す。スワーツは、シーフード会社の世界トップ150社を調査し、その特性やCSR(企業責任)についての活動内容等をデータベース化した。

結果を見て彼は、「意味のある持続可能な目標は実行可能なビジネス戦略によく統合される。CSRに関して言えば、シーフード業界は明らかに林業、鉱業のような他の自然資源業界より遅れている。」と話す。そして彼は、この研究によってその遅れの鍵となる原因やこの不均衡の要因が示されることを望んでいる。

またスワーツは、民間企業は、持続可能な活動の流れを単独では達成できない。行政の動きや政策の変更こそが持続可能な活動を広げる重要な要因となるに違いないと考えている。

「私たちは、全ての環境に対する責任、または社会的責任を民間企業へ押しつけるべきではない。政府が常にその後押しを行い、存在感を保持するべきだ」その上で、「どのような私的な行いが社会の環境や持続可能性に貢献しているのか」についての深い認識と理解が広まり、それによって企業としての利益があがるはずではないだろうか。今後、各政府が【企業の社会的責任】についていかに効果的な政策を実行していくのか、さらなる戦略が必要となっている。

By Emily Fister

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